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恋Likeと愛Loveの違い

更新日:2022年5月22日



この本を読んで自分が「」をしていたのはいつだっただろうか?と振り返ると中学生〜高校生1年の時だったなぁと思います。


相手のことを何も知らないのに、「カッコいい」と言うだけで、バスケ🏀部のキャプテンで2歳年上の先輩に恋をしていた。

先輩が卒業した後は、ハンドボール部の同級生に恋をしていたり


高校生になって電車通学になり、毎朝駅で会う年上の男性に恋したり


バイト先に毎朝コーヒーを飲みにくる年上の男性にも恋をしました。


一緒にバイトしてた年上の男性にも恋心を抱いた事もありました。


想いを伝えられなかっり・両思い・振られたり・破局を経験して



そして、「」を卒業すると

愛する人に出逢いお付き合いするようになりました。


恋Like」と「愛Love」の違いが理解出来るようになります。


一つの人生のプロセスだから

沢山、恋をしたほうがいいと思います。




P100 「愛の論理」飯田史彦著引用


恋する相手は、よく似た他の人と取り替えることができるのに対して、愛する相手は、決して取り替えることができません。なぜなら、「」が相手の持っている何らかの所有物(容姿・性格・才能・富・仕事・家庭環境などの属性)に価値を感じて惹きつけられる感情に過ぎないのに対して、「」は、相手がただ「在る」と言うこと、つまり相手がただそこに存在してくれていること自体に価値を感じ、深い感謝の念を抱く事からではないでしょうか。

そのため、恋の場合には、今恋している相手よりも優れたもの、多くのものを所有する相手と出会った瞬間に、そちらへと感情が移ってしまいます。また恋する相手が死んでしまった場合にも、その故人と同じかそれ以上の所有物を持つ人と出会うことによって、失ったものを再び回復することができるのです。

しかし、“愛”の場合には、相手の所有物に価値を感じているわけではないため、その相手と同じかそれ以上の所有物を持つ相手と出会ったとしても、愛する相手を取り替えてしまうとは思いません。また、愛する相手(例えば夫)が死んでしまい、別の価値を感じる新たな愛する人(と言う新しい夫)ができたとしても、死んだ人に対する愛は、新たな人への愛とは別の次元で、永遠に失うことなく輝き続けるのです。

言い換えれば、”“の場合には、「もうあんな人に恋するのはやめた」と言う感情変化が生じやすいのに対して、本当に愛した場合には、「もうあんな人を愛するのをやめた」などと言う安易な変化は生じません。

一度愛してしまうと、何が起きようとも、たとえ相手が死んでしまおうとも、その人への“”そのものは永遠に自分の中に存在し続けるそのようなものこそが、本当の愛と呼ぶに値するのではないでしょうか。




医学博士 海原純子著「Here and Nowの心の心理学


「高学歴だから」「ハンサムだから」「お金があるから」、、、、それら全てはその人の属性です。愛した相手が高学歴である、と言うのなら納得がいきますが、高学歴だから愛したのでは無いはずです。


もし高学歴だから「愛した」のなら、それはとは言えません。

それを愛と取り違えたならないでしょう。


属性は失われるものです。

若さ、美しさ、知能、お金や地位、それらは人間の属性の一部しかありません。

は属性のすべてを含め、その人の全てを受けられることなのですが、条件付きの愛情しか知らない時、人は相手を属性でしか見れなくなるのです。

逆に自分のアイデンティティーも、学歴と地位と美しさにすり替えてしまいます。

綺麗で若々しくないと愛されないと思い込み、美しいことで愛されようとするのです。


愛情に拒否的な環境で育つと、「自分は愛するに値しない」あるいは「自分は自分だから愛されるのではなく、学歴があるから、美しいから愛されるのだ」と潜在意識はつぶやきます。


すると、自分の属性に対して常に過剰な意識が向けられます。美しさや若さ、お金や地位について絶えず気にかけ、他人と比較している人は、それらの属性がないと受け入れられてもらえないと思い込むアイデンティティ障害に陥っています。

「いい子にしていたら愛してあげるわ」と言われて育った人は、良い成績をとらないと不安になります。

「自分がどう生きるか」と言うアイデンティティーを全て属性に頼らないと不安になるのです。


つまり、自分が価値を感じている属性、所有物を相手が失ってしまった時点で、「」は冷めてしまいます。


 しかし、「」の場合には、相手がどのような属性、所有物をどれほど失ったとしても、冷める事はありません。


 例えば、相手が財産や美貌を失ったために冷めてしまうというのは「」に過ぎません。それに対して、相手がそれらを失ったからこそ、かえって強く「この人のために尽くしたい」と決意するような場合が、正しく「」と呼ぶにふさわしいものなのです。

」は、相手がただ「在る」と言うこと、つまり相手がただそこに存在してくれていること自体に価値を感じ、深い感謝の念を抱く事からではないでしょうか。

そのため、の場合には、今恋している相手よりも優れたもの、多くのものを所有する相手と出会った瞬間に、そちらへと感情が移ってしまいます。

 また恋する相手が死んでしまった場合にも、その故人と同じかそれ以上の所有物を持つ人と出会うことによって、失ったものを再び回復することができるのです。


しかし、の場合には、相手の所有物に価値を感じているわけではないため、その相手と同じかそれ以上の所有物を持つ相手と出会ったとしても、愛する相手を取り替えてしまうとは思いません。

また、愛する相手(例えば夫)が死んでしまい、別の価値を感じる新たな愛する人(と言う新しい夫)ができたとしても、死んだ人に対する愛は、新たな人への愛とは別の次元で、永遠に失うことなく輝き続けるのです。

言い換えれば、”“の場合には、「もうあんな人に恋するのはやめた」と言う感情変化が生じやすいのに対して、本当に愛した場合には、「もうあんな人を愛するのをやめた」などと言う安易な変化は生じません。

一度愛してしまうと、何が起きようとも、たとえ相手が死んでしまうとも、その人への“”そのものは永遠に自分の中に存在し続けるそのようなものこそが、本当の愛と呼ぶに値するのではないでしょうか。






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